テオヘイズの眼差しは半分はこの世、もう半分は違う世界にあるようだ。
ヒルマ・アフ・クリントがこの世を原子で捉えていたように、テオヘイズのこの世の捉え方は細かい波であり、粒である。奉納演奏をし、その場の情報に触れているとき、彼はとても細かな波動や粒子を感じると言う。時空の概念がない世界。それは、量子的な情報と感じるそうだ。
「量子的情報」で人・もの・場を捉えると、良いものは、エッジが立っていてスッキリしており、なおかつふっくらとして愛が深い。逆に良くない感じは、ベシャっとしていて、荒い。
音もミクロ的視点から言うと、粒子であり波動であると聞く。中学高校と吹奏楽に没頭してきた彼にとっては、音を使って、この世の潜在的な情報を感受し、変容し、また表現することは、とても自然なことであった。二重スリット実験、量子もつれなどの量子の奇妙な振る舞いは、彼が感じる世界の在り方に合致するのだ。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったが、これからの常識はどう変わっていくのだろうか。
科学技術の飛躍的発展が起こるとき、スピリチュアリティに対する人々の姿勢も肯定的になると読んだことがある*。例えば、ラジオが開発されたときには目に見えない電波を受信して、自分の合わせた周波数のラジオ番組が聴こえる。これはどんな人にも起こるのだから、その存在を否定する人はいない。
ヒルマ・アフ・クリントの時代、原子が発見されたときも同じようなことがあったのではないだろうか。新表現主義的なモチーフの下地に神秘主義があり、シュタイナーがアカデミックな学問として世に広めようとした背景があった。ヒルマは、シュタイナーに自分の絵に対する意見を求めたが、それに対し「霊媒のように描いてはいけない」と返答があったそうだ。
体験のないものは、信じられない。それは当然だ。見えない世界のことを利用して、騙す人もいるので、用心しなければならない。ただ、いつの時代も異端と言われる「ずれた感覚」の人が次の時代を切り拓いてきた。
コロナ禍にあっては、VUCA時代の傾向がより強く、未来予測が不確かで曖昧なものに人々は向かっていかなければならない。
テオヘイズは、美術の原点にある宗教と芸術の関係性を探求し、両者に共通するのは「魂の癒しである」との結論に至った。大自然より良くそれを人に教え、また、それ以上美しいものは地球上にはないと悟り、日本古来の精神性や自然と調和する術について楽曲で表現することに決める。
自然ほど超越的で真理を教えてくれるものはなく、人間にとって大切なものはない。人間に都合の良いことばかりでなく厳しくもあるが、全体として循環している思想が彼をとらえた。それを伝えるには美術の長期戦より、音楽の短期戦で表現しなければ事を成せないのではないかと思い楽曲を50以上作り、環境省等主催のコンペで賞ももらった。しかし、それでは何かが欠けていることも感じた。家族で引っ越し、400年の梁のある古民家を改装して田舎暮らしをし、土に近い暮らしを経験。
自然の中での神秘的体験が何度か彼にやって来て、もう一度芸術の世界と向き合うよう促される出来事があり、美術品制作に専念する流れとなる。
彼には、情報が星からやってくるよう感じられるそうだ。具体的な星というよりは、宇宙という広大な空間から、と言った方がいいかもしれない。星から降り注ぐ情報は、求める者のところに降りてくる。セレンディピティ、ユングの言うところのシンクロニシティ…そのような偶然のような必然で津軽三味線や岩笛(隕石)により人間界と自然界のブリッジ役を果たす。その境地を画布に表現する。
これからの地球には、教義や組織に縛られた宗教は必要ないと感じる。排他的になり争いは尽きないからだ。テオヘイズは芸術を通して、新しい精神文化を創造する。その思いがこの4部作に込められている。
*五木博之、鎌田東二「霊の発見」より
本作品は、2021年10月に行われた”Rooms 43″ 新宿三角ビルで展示されたものである。
作品は、こちら→ rooms 43 | THEO HAZE