Message from Prof. Atsuo Ogawa

「鬼の回帰・テオヘイズ展に寄せて」

小川 敦生先生(多摩美術大学教授/美術評論家)

昨年末、テオヘイズさんと、Zoomで顔を見ながら話をする機会を得た。そのとき彼は、「降りてくる」という言葉を盛んに使っていた。何が「降りてくる」のかを推し量ると、天上、あるいはあちらの世界から魂や霊のようなものが、ということだったように思う。彼はこの言葉をごく平然と使っていたのだが、冷静に考えればちょっとアブナイ人なんじゃないかとも思えてくる。実は魂や霊の存在を信じている人は世の中にはけっこういるのかもしれないけど、社会において普通にコミュニケーションをしようと思えば、あまりおおっぴらには出てこない言葉だろう。

 とはいっても、「テオヘイズはアーティストだから」と考えれば、かなり自然に受け入れられる。アート作品というのは、少々常識から外れているようなところがないとつまらない。むしろ、明快な論理展開の末に出てくるような発想ではなく、勝手に手が動いたり「霊感」が働いたりしたときにこそ、心を揺さぶるような表現が生まれてくるものだ。おそらく彼は、いい表現ができたと自分で感じたときには、いつも何かが「降りてくる」経験をしてきたのだろう。だからそんな言葉を日々使っているに違いないのだ。

 このたびの展覧会名を象徴する「鬼」という言葉も、「降りてくる」ものと密接な関係があるようだ。鬼は一般的には悪のイメージがつきまとうが、本来は「魂」「霊」に由来するという。魂や霊は人間にとってもともと心の中に存在するものとも考えられるが、目に見えないということもあって、多くの人々は怖がってきた。鬼が角の生えた異形で絵に描かれるのも、恐れの表れだろう。一方、彼が作品の中であらわにした鬼については「ポップ」という表現をする人もいるほどで、決して怖くはないし、ことさら神妙でもない。角が生えていても、こんな鬼ならひょっとしたら人間の味方になってくれるんじゃないかと思わせるのである。世の随所に浮遊しているであろう魂との交流の仕方を考えさせられもする。

 さて、テオヘイズさんには、もう一つ貴重な特技がある。三味線だ。学んだのが、激しい弾きっぷりで知られる津軽三味線の系譜だというから、これまた霊に近い話だなと想像が広がる。山中などを修業の場とし、一時は三味線で食べていくことも考えたというから、かなりの水準の腕前と推察できる。いや、重要なのは腕前よりもその世界に自分の心身をどっぷり入れ込もうとしたことにあったのかもしれない。弾いているうちに、たくさんの「鬼」が「降りてきた」はずだ。その経験の上に成り立つ彼のアート作品は、やはり「鬼」と並々ならぬかかわりがあるように思う。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも、実はリラ・ダ・ブラッチョという弦楽器の名奏者だったという。美術も音楽も根は同じところにあり、表現するときに魂がそこに存在するかどうかが重要だったのだ。「鬼」の降臨の何と喜ばしいことか。

 テオヘイズさんの主だった履歴を総ざらえしたこの展覧会では、たくさんの「鬼」を見ることができる。もっともそれらは、角の生えた「鬼」ばかりとは限らない。ポップな新作壁画の随所にも、あっけらかんと存在しているのだ。その「鬼」たちと触れることによって、私たちの心は心地よく震える。そんな世界を作り出すことに邁進してきたテオヘイズさんに、改めて祝福の気持ちを贈りたい。