三味線を始めて間もなく、数多の名もなき人達を鎮魂したいという衝動で動いていた。海賊だった先祖の記憶なのか、無縁仏に出会うと奉納演奏を無償にしたくなるのだ。鬼のルーツを辿ると「おぬ(隠ぬ)」と「霊」であることも知ったが、それになぞらえるように歴史に名の残らない存在に演奏を捧げた。
芸能の原点はストリート、津軽三味線でいうと角付けであり、地元でストリート三味線をしながらルーツを辿った。人に乞うという体験は、20歳そこらの自分にとっては初めての経験で恥ずかしい気持ちも最初はあったが、どうしても自分の美術をするためには必要だった。そこで様々な経験をしたが、ここでは割愛して別の機会に書きたいと思う。音楽にそれを求めたのは、中学高校時代に吹奏楽部でパーカッションに明け暮れる生活を送っており、高校3年生までドラムの道を進むと周囲からは当然のように思われていたという経緯からは自然な事であった。
現代美術に不可欠な視点である世界から見た日本、日本人のアイデンティティを探るために始めた三味線だったが、それは、日本の芸術の奥底には芸能魂が根付いているという直観のようなものだったのかも知れなかった。日本の芸術と言う言葉は、明治時代に輸入された概念だが、それ以降の美術と、それ以前の美術。それらは分断しているように感じた。明治に西洋ナイズされ外からの文化をふんだんに取り入れ独自の応用発達を見せていくのが日本の良いところなのだが、日本の強みを世界に押し出して行く為には、明治での分断を避けて通れない気がしていた。
僕の演奏の舞台は次第に街を離れ、奥山に向かい自然に対して独り三味線を弾くようになった。この地球には、人間の通常の知覚では拾いきれないたくさんの情報があり、特に僕は神霊というものに興味と親しみを持った。3歳から父と毎週登っていた六甲山で感じていたものが影響しているのかもしれない。
古い山奥の祠には、寂しい気が充満している。かつてその場所で崇められていた存在は、人々に手を合わせてもらうことで力を増幅し、周囲に福徳を授けて来たが、人が入らなくなってからは寂しい気だけが残っていく。それに引かれるように山に入り三味線を弾き、その場が調和するように、清らかになるように無心で欲するがままに音を紡いでいくと、量子的情報が書き換わっていくのを感じる。あくまでも個人的な体感であるが。
その時に得た情報を元に制作している。作品はいわば、依代である。
魂の救済になることを願って、というと白々しく聞こえるかも知れないけれど、自分はなぜ地球にやって来たかと言う事を思わずにはいられない。人間の本当のところは、物質生活だけにはとどまらないと心底感じている。自分を先祖や宇宙やDNAレベルに感じて行けば行くほど、人生の流れに沿って生きていけるように思う。幸福というのはそうしたところにあるのではないか。そして、芸術とは、それに寄与するためにあると信じ、制作している。それが僕の大義だ。
筆録 Liz HAZE