宇宙叙事詩

母は朝鮮で生まれ、小学校に上がるまで その地で育った。
事業はうまくいっていたが、戦争が始まり終戦と共に引き上げとなる。僕の祖父は船を調達し船長を雇い、100人ほど日本人を乗せて日本に戻ったらしい。土地の人とも上手くやっていたようで、当時にしては珍しく略奪にも遭わなかったそうだ。

母のルーツは海賊。旧姓は「能島」と言い、村上水軍の出自だ。
子孫に禍根を残さないようにと祖先である村上武吉が、水先案内人や海上警護をするようになる。その後、母の祖先は、広島の府中に渡って家具職人をしていたらしい。

僕は18歳で美大に入った後、具体美術協会でイタリアにて活躍していた嶋本昭三氏に出会った。小磯良平の直弟子だった別の先生からは油彩で評価され、すぐ頭角を現すだろうと言ってもらったが、その分野の先を感じていた僕は自然と現代美術に向かった。次第に「世界の中の日本」を意識するようになり、津軽三味線を拠り所に日本人のアイデンティティを探るようになる。

それまで見向きもしなかった神社仏閣に、ふとしたきっかけで訪れた際、神秘体験をする。梵我一如、天人合一とも言うが、そこから人生観が180度と言っていいほど変化する。

亡くなった名もなき存在に祈りを捧げたいという衝動に駆られ始めたのは、その頃のこと。無縁仏や奥山の祠、ひいては自然に向けて津軽三味線をかき鳴らすようになる。

その後、天河神社や大神神社でも神秘的体験が起こる。

大阪の道明寺天満宮に誘われて行くと、10数年ぶりの知人に出会い宮司を紹介され、そこの境内に祀られている事が分かり、僕のルーツは土師氏と言って葬送をつかさどる家系だったと聞いた。

別のきっかけで津軽三味線も鎮魂の楽器だと知り、また当時 鬼の彫像を造って鎮魂していた僕は、父方の遠い祖先もそのようなことをしていたのだと知り、深く納得した。

自身のルーツ、日本人のルーツについてとことん探求した。特にフィールドワークというか、気になる場所に赴くこと。それが大事で、鎮魂すべき場所やタイミングは、意識すると知人にお金は出すからと誘われたり、同時に複数の人から指示・連絡があったり、それはもう否応なく行く流れとなる。

その土地に行き三味線を弾くと、その場と同調して情報が来る。情報は三味線により書き換わる。そんな事を20年来して来た。

近年、量子学が一般にもわかる形で開示されてきて、自分の体験に非常に合致する部分が多いことに気づいた。
僕の作品の根底には、量子というのか光子/波動というのかわからないけれど、それと星とが相似していて、「星とヒト」に大きなテーマ性を持っている。

古来、海人は星を眺めて航海した事と思う。星にロマンを感じ、星に癒され、また星に確かな情報を得た。

今、地球と地球外という意味での宇宙という枠組みで、地球人は物事にあたる必要性が出て来ている。
僕は「星とヒト」を軸とした宇宙叙事詩を作品にしたため、この地球に残したい。